11月に読んだ本から、例によって比較的最近出た本を2冊。
ハプスブルク家の光芒/菊池良生(ちくま文庫,2009)
「長さ一三二メートル、幅二二メートル、高さ一三.二メートルの巨大な「ノアの方舟」が、ノアの家族八人とすべての種類の動物、鳥、地を這うもののそれぞれのつがいを載せてたどりついたところはアララテの山である」と、意表をつく書き出しからこの本は始まる。
ノアから始まった歴史で、人の世には身分の差が生まれた――と著者は語り、ヨーロッパの階級社会の話へとつながっていく。階級社会の頂点に立つのが皇帝である――というところから、やっと本書の主役であるハプスブルク家、その中でももっとも広い領土を治めたカール五世が登場する。
そしてカール五世の身体にハプスブルクとブルゴーニュが合流したとき、ハプスブルク家は華麗な祝祭の季節[とき]を迎えたのである。(p.17-18)
この文章が、まるでファンファーレのように響く。この本が語るのは、歴代のハプスブルク家が繰り広げた祝祭絵巻であり、パレードと祝祭とセレモニーから見た、ハプスブルク家の歴史なのだ。
カール五世はヨーロッパ各地に巡幸を行った。その行く先々で、皇帝を迎える町が華麗な「入場式」を演出する。記念門を建て、山車を並べ、パレードや劇や馬上試合が開催された。そしてカール五世が死去すると、ヨーロッパ各都市はまた華麗な葬儀を催す。ブリュッセルでは巨大な「ノアの方舟」の山車が行進した。ここで、冒頭とつながるわけである。歴史書とは思えないくらい、書きぶりが凝っている。これがこの著者の持ち味なのだろう。
次の章では、カール五世の後オーストリアとスペインに分裂したハプスブルクのうち、スペイン王家のごたごたが語られる。祝祭の話はひとまずお休み。
王(フェリペ二世)は宮殿の奥深くに閉じ籠もり、スペイン・ハプスブルクの光と翳りのすべてを燃やし、その燃え殻をせっせと積み上げて無惨なぼた山を築いたのだ。(p.43)
同じハプスブルクでも、スペインは暗い。でもこれは本書の主題から言えば脇道。次の章から話題の中心はオーストリア・ハプスブルクに戻り、最後までオーストリアを離れることはない。やはりオーストリアは華やかである。祝祭に次ぐ祝祭が語られる。
16世紀、オーストリア大公カールとバイエルン公女マリアの結婚祝祭。17世紀、皇帝レオポルト一世とスペイン王女マルガレーテの婚儀を祝う、延々2年も続く祝宴。この頃のハプスブルク宮廷は、一年のうち157日は祝祭をやっていたとか。
18世紀、フランクフルト生まれのゲーテが目にした、皇帝ヨーゼフ2世の戴冠式。フランクフルトは16世紀以来、神聖ローマ皇帝の戴冠式の地となっていた。この戴冠式から約40年後、「神聖ローマ帝国」は消滅してしまうのだが。
「神聖ローマ帝国」がなくなっても、ハプスブルク家はまだ続く。ハプスブルク家の一員である「メキシコ皇帝」マクシミリアンの処刑、踊るウィーン会議、流浪の皇妃エリザベート。このあたり、祝祭というより劇のようだが、ドラマチックで見せ場に富むことは確かである。エリザベートなど、宝塚の舞台にまでなっている。
そして最後を飾るのが、1908年、皇帝フランツ・ヨーゼフ2世の「在位60年慶祝パレード」。パレード参加者1万2千人、見物客60万人という途方もない祝祭である。だがその裏では民族間の対立と国際的緊張が高まっており、6年後には第一次大戦が勃発し、ハプスブルク帝国は消滅に向かうことになる。最終章で著者は、宴の後の虚しさが漂う筆致で、ハプスブルク家の最後を語る。
きらびやかな祝祭に彩られた「ハプスブルク家の光芒」とともに、「ハプスブルク家の興亡」も描き出す。分量としては短いのだが、内容はいろいろな意味で濃い、異色の歴史書である。
前に取り上げた『神聖ローマ帝国』(2007年10月19日)や『傭兵の二千年史』(2009年4月6日)を書いた人だけあって、やはり歴史好きのツボを心得ている。
四コマ漫画 北斎から「萌え」まで/清水勲(岩波新書,2009)
サブタイトルのとおり、北斎に見るコマ漫画の起源から、現代の四コマまでの歴史の概説。著者は戦前(1939年)生まれの漫画史研究の大家。帝京平成大学教授、京都国際漫画ミュージアム研究顧問。本人のホームページ(http://www013.upp.so-net.ne.jp/kun-shimizu/)によると、著作84冊。手塚治虫のデビューを目撃し、「サザエさん」を最初からリアルタイムで読んでいた世代である。
本書の神髄は、全体の3分の2にあたる明治から終戦直後までの四コマ漫画の歴史を述べた部分にある。章で言うと「2 西洋四コマの到来――明治時代」から、「5 第二次「新聞四コマ漫画」ブーム――昭和二〇年代」まで。新聞や雑誌の四コマ漫画という、追跡のきわめて難しい資料を、よくこれだけ集めたものである。戦前の人気四コマ「のんきな父さん」や「フクちゃん」などが取り上げられている。
中でも気になるのは、日本で初めて女性を主人公にした漫画という長崎抜天の「ひとり娘のひね子さん」(大正13年~)。残念ながらこの漫画の図版は載ってないので、ひね子さんがどんな顔なのかわからない。調べてみると、2008年に京都の漫画ミュージアムでこの漫画の展覧会が開催されていたらしい。行けばよかった!
最後の3分の1は昭和30年代から現代までで、いしいひさいちやいがらしきみお、吉田戦車、それにとってつけたように美水かがみの「らき☆すた」が出てくる。この部分は、正直いって、蛇足。同時代史なので、他でもわかることである。「オバタリアン」の堀田かつひこが「すえつぐなおと」の名で少女漫画を書いていた(p.160)というのは初めて知ったが。
巻末の「四コマ漫画史年表」は力作。さすがに長年漫画史研究を手がけてきただけのことはある。
ただ、問題は、読み物としては、まったくおもしろいと思えないないこと。四コマ漫画という魅力的な題材を、どうしてここまで無味乾燥な文章で書けるのだろう。資料的には値打ちがある本だと思うが...。