J・G・バラード追悼
先月、J・G・バラード死去の報が流れた。
かつて一時代を画したSF作家たちが毎年のように死んでいくので、バラードの訃報にも、ついに来るべきものが来たかとの思いがする。だが、最近亡くなった作家の中では、飛び抜けて思い入れの深い名前であることは間違いない。
特に思い出が深いのは、創元推理文庫から発行されていた一連の作品群である。1970年前後に、9冊が矢継ぎ早に出版された。刊行ペースは以下のとおり。
1.『沈んだ世界』1968.2.16
2.『結晶世界』1969.1.10
3.『時の声』1969.5.2
4.『時間都市』1969.5.30
5.『永遠へのパスポート』1970.7.24
6.『燃える世界』1970.8.21
7.『狂風世界』1970.9.11
8.『時間の墓標』1970.10.30
9.『溺れた巨人』1971.1.15
1969年5月には2冊出たり、1970年には4ヶ月連続で出たり、すごいペースである。表紙がそっけない、というか手抜きなのもこの頃の創元文庫の特徴で、上の1と2と7、3と4と5、8と9は、同じイラストの色違い。今なら考えられない。どの本も、その後再刊された時に、より洗練された表紙に変わっているが、元の表紙もそれはそれで、なかなか味があった。
とにかく、この9冊を読んで(リアルタイムで読んでいたわけではないが、他に邦訳は出てない頃だったのだ)、私のバラードに対するイメージは固定されてしまった。そのイメージというのは、「終末を描く作家」というのがひとつ。もうひとつは、「短篇の名手」。
そう、私の見るところ、バラードはSF界でもたぐいまれな、短篇SFの作り手なのだ。バラードに匹敵するのは、日本の筒井康隆くらいではないかと思っている。
少々遅ればせではあるが、そんなバラードの追悼記念として、なつかしの9冊の中から短篇集を取り上げてみる。
時の声/J・G・バラード;吉田誠一訳(創元推理文庫,1969)
ベスト作品はやはり表題作。人間から睡眠を取り去る手術、生物の強制的進化の実験、終末へのカウントダウンを告げる宇宙からの通信、という3題噺みたいな―それ自体で作品がひとつ作れそうなテーマの贅沢な組み合わせだが―題材。それを抑制の効いた語り口で哲学的な作品に仕上げている。バラードの短篇の典型であり、後の「内宇宙」への志向の萌芽も見てとることができる。
ところで、この「時の声」のアイデアの一部をなす「人間から睡眠を取り去る手術」というテーマだけで書かれた短篇も本書には収録されている。「マンホール69」がそれ。もちろんストーリーは全然違っていて、こちらはむしろオーソドックスなSF。
「重荷を負いすぎた男」は、認識力を意識的に消し去る能力を身につけた男の話。もちろん、その能力を使いすぎて最後は悲惨なことになるのだが、これはSFというより心理的ホラー小説かもしれない。
「恐怖地帯」も、今読んだら、一種のドッペルゲンガーもののホラー小説である。
かと思うと、本格SFもある。「音響清掃」は、余分な音をゴミとして片づける未来社会に展開する、騒音と音楽をめぐるドラマだし、「待ち受ける場所」は、短篇でありながら壮大な宇宙史のヴィジョンを見せ、「深淵」は、全ての海が干上がった地球で最後に生き残った魚と、滅び行く世界に残ることを選んだ人々を描く。
バラエティに富んだ短篇集だが、バラードが「時の声」でかいま見せた、当時としては斬新な作風を本格的に繰り広げるのは、もっと後のことになる。
時間の墓標/J・G・バラード;伊藤哲訳(創元推理文庫,1970)
原題はTerminal Beach。つまり、原書は「ニューウェーヴ」の記念碑的作品、「終末の浜辺」を表題作にしていた。邦訳版も、再刊された時は原書に合わせて、『終末の浜辺』とタイトルを変えている。
この本のハイライトは、やはり新版の表題作、「終末の浜辺」だろう。後のコンデンスト・ノヴェルの原型とも言うべき、象徴的なタイトルを持つ断章で構成された作品だが、今読むと、別にそう難解というほどではなく、けっこう普通である。だが、手法そのものはもはや新しさを感じさせないとしても、核実験場で繰り広げられる「核による終末」のイメージの鮮やかなモザイクは、色あせていない。
他の作品は、オーソドックスな短篇の形式をとってはいるが、内容は『時の声』に比べると、象徴的、観念的な作品、あるいは人間の心理を正面から扱った作品が多い。死刑囚と看守とのチェスを通じてカフカ的不条理世界を描く「ゲームの終わり」。自分が住む世界のミニチュアを手にした男の物語、「ゴダード氏最後の世界」。太古の海のイメージが悪夢のように襲ってくる一種の心理的ホラー「甦る海」。精神の交換がもたらす混乱を日常的なドラマにからめた「ある日の午後、突然に」。
もちろん、数は減ったが普通のSFも収録はされている。「識域下の人間像」はサブリミナル広告が蔓延する未来社会が舞台の社会派SF。邦訳版の最初のタイトルになった「時間の墓標」は、要は異星の墓荒らしの話。「ヴィーナスの狩人」は、言わばバラード版「未知との遭遇」。
また、「マイナス 1」は、精神病院で失踪した患者をめぐるブラック・ユーモア小説で、バラードもこんなドタバタ作品が書けるのだと再認識させてくれる。それにしても、バラードは精神病院を舞台にした小説がうまい。
『時の声』と『時間の墓標』で、それぞれの収録作のオリジナルの発表年代を見てみると、『時の声』が1957年から1961年まで、『時間の墓標』が、「ゴダード氏最後の世界」だけが1960年で、他は1963年から1964年にかけて。このわずかな間に、バラードは「内宇宙」への志向を一気に促進させていったようだ。だが、読む者を静に引き込んでいく独特のタッチや、巧妙な構成は変わらない。優れた抽象絵画が実はオーソドックスなデッサンの熟練の上に成り立っているように、前衛的に見えるバラードの作品も、小説技術の卓越した技巧をベースとしているのだ。
名手バラードの死を惜しみたい。






