太平洋戦争の終戦を半月後に控えた1945年7月30日、グアム島からフィリピンに向かっていたアメリカ海軍の重巡洋艦インディアナポリスは、日本海軍の潜水艦、伊58の魚雷攻撃により沈没した。インディアナポリスは太平洋戦争で最後に沈んだ大型軍艦である。
最後に沈んだのが勝利者側の艦だったというのも皮肉なものだが、その頃、日本海軍には沈むような大型軍艦はほとんど残ってなかったのだから仕方ないといえば仕方ない。
それはともかく、インディアナポリスの沈没は、その後の処理のまずさから出さなくてもいい犠牲者を多数出したという点で、アメリカ海軍史の大きな汚点となっている。「アメリカ海軍最大の悲劇」とも言われるほどだ。
そこで今日は、インディアナポリスに関する本を2冊。
総員退艦せよ : 米重巡インディアナポリスの最期/リチャード・F・ニューカム;亀田正訳(朝日ソノラマ・文庫版航空戦史シリーズ,1984)
原書が最初に刊行されたのは1958年。インディアナポリスの生存者たちにとっては、まだ記憶も生々しい頃だっただろう。
原題名は"Abandon Ship!"、なるほど、「総員退艦」は英語でこう言うのか。
翻訳は早くもその次の年、1959年に出版協同社から出ている。この本は、その出版協同社版の文庫化。2002年に『巡洋艦インディアナポリス撃沈』のタイトルで、ヴィレッジブックスから新訳が出ている(こちらの訳者は平賀秀明)。
刊行から50年経っていまだに本が出ているという、「インディアナポリスもの」の古典である。
構成はノンフィクションでありながら小説的で、きわめてドラマチックにできている。
ままず第1章がインディアナポリスではなく、撃沈した側の伊58のことを書いているのが意表をつく。「海軍少佐橋本以行は、あまり運のいい男ではなかった。」というのが書き出しで、伊58の橋本艦長の経歴、1945年7月16日の最後の出撃(奇しくもこの同じ日、「一隻の米巡洋艦がサンフランシスコを出港した」、とさりげなく書いているのがいい)、そして、太平洋上での米軍大型艦との遭遇と雷撃、8月17日の呉軍港への帰港までが、簡潔に述べられている。終戦後の橋本艦長についてこの章ではほとんど触れられてないが、「橋本はすることもなくぼんやりと日を過ごしていたが、数カ月後には妙な冒険が彼を待っていた。」という一文が読者の記憶に引っかかる。この仕掛けもうまい。
ただ、この文章は橋本自身の言うこととは違っている。橋本の回想録『伊号58潜帰投せり』によれば、伊58を佐世保に回航し、連合軍への引き渡し準備に当たっていた時に呼び出しを受けたことになっている。このへんは本人の書いていることの方が確かだろう。ニューカムの記述には結構脚色が入っているのかもしれない。
続く第2章、第3章は、サンフランシスコからテニアン島までのインディアナポリスの行動を追う。広く知られている話だが、インディアナポリスは原爆の部品とウラニウムをテニアン島の基地に輸送するという極秘任務を帯びていたのだ。マンハッタン計画の関係者ファーマン少佐が真の任務を隠して乗り込み、原爆の機密維持に神経をすり減らすこの部分は、スパイ小説の趣がある。艦長でさえ、積荷の正体を知らなかったというのだから徹底している。
テニアンで原爆を降ろしたインディアナポリスは、グアム島で新しい命令を受け、単艦でレイテ島まで航海することになる。その途中で伊58による雷撃を受け、沈没するのだが、ここに至るまでの経緯と、生き残った乗組員たちの四日間にわたる漂流を描くのが第4章から第13章まで。本書のクライマックスである。インディアナポリスにはおよそ1200人の乗組員がいたが(ウラニウム輸送の責任者だったファーマン少佐は当然テニアンで艦を降りていて、この時はいない)、約300人が沈没時に死亡、残った900人は救命ボートや破片につかまって海を漂うことになった。
アメリカ海軍としては信じられない不手際だが、インディアナポリスの撃沈は様々なミスの積み重ねにより、関係者の誰も気がつかなかった。漂流者たちは四日後に、哨戒機に偶然発見されたのだ。
沈没から四日間の漂流の間に、漂流者たち次々と鮫に食われたり、衰弱死したり、発狂死したりして、最終的に救出されたのは316人だった。
艦長のマックベイ大佐は最後まで生き残って帰国するのだが、ここで艦を失った艦長としては異例の軍法会議にかけられる。この裁判の顛末が第14章から第18章まで。アメリカ海軍は自分たちのミスを隠蔽するためか、すべてをマックベイ大佐の責任にしたかったらしい。大佐を有罪にするために、日本から橋本以行を呼んで証言に立たせる。これが第1章で触れられた、橋本艦長の「妙な冒険」の中身。
軍法会議の焦点は、マックベイ大佐が雷撃回避のためのジグザグ航行を行っていたかどうかという点にあった。が、橋本は、「ジグザグをやっていてもいなくても相違はなかったでしょう」と身も蓋もない証言をしている。
敵国の軍人を証人として迎えることになったアメリカ側の対応は興味深いが、この本ではあまり詳しく触れられてないのがやや不満。このへんは、前出の橋本自身の『伊号58潜帰投せり』には、結構細かく述べられている。本人は対応に当たった士官や兵から結構親切にしてもらい、あまり敵意などは感じなかったらしい。
軍法会議の方だが、結局最初から結論は決まっていたようで、橋本の証言も何の影響もなく、マックベイ大佐は有罪と判断されて降格処分を受ける。艦長の軍法会議の後、グアムやレイテにいた関係者たちが受けた処分について少し触れて、「インディアナポリスの奇妙な事件は、こうして終わった。」と本書は締めくくられている。
実は終わってなどなくて、この物語にはまだまだ後日談がある。
マックベイ大佐は軍法会議での有罪判決が心の重荷になったのか、退役後の1968年に自殺してしまうのだ。1958年出版のこの本には、当然そのことは書かれてない。
さらに、20世紀も終わり頃になって、一人の少年がマックベイ大佐の名誉回復に奔走するが、その件も当然触れられてない。
ラストの部分だけ少々アンチクライマックスの感があるが、それでも全体として、下手な小説よりずっと面白く、ロングセラーになっているのもうなずける。
巻末に橋本以行の「重巡インディアナポリス撃沈の夜を回想して」という回想記がついているが、これは無論翻訳版だけのボーナストラック。
巡洋艦インディアナポリス号の惨劇/ダグ・スタントン;平賀秀明訳 (朝日文庫,2003)
原書は2001年刊行。訳者は、上の本の新訳『巡洋艦インディアナポリス撃沈』を訳したのと同じ人。(どうでもいいけど、同じ人の訳なのに、こっちはインディアナポリスに「号」がついてるのはなぜ?)
『総員退艦せよ』と本書との間に、インディアナポリスを語る上で重要な出来事が起きている。1975年の映画「ジョーズ」の公開である。この映画に出てくる、ロバート・ショウ演じる鮫狩り名人、クイント船長がインディアナポリスの生き残りという設定だったのだ。映画の中でクイント船長は酒を飲みながら、仲間が次々と鮫に食われて言った様を延々と語る。インディアナポリスが沈んだ日付など事実と違う点は若干あるが、そのセリフは多くの人の印象に残り、インディアナポリス撃沈事件は再び世間の注目を集めることになった。あるいは、アメリカ人のトラウマを呼び覚ました、というか。
原題は、"In Harm's Way: The Sinking of the USS Indianapolis and the Extraordinary Story of Its Survivors"で、このサブタイトルからもわかるように、本書はインディアナポリスの撃沈までの物語より、その後の生き残り乗組員たちの、「死の漂流」に焦点を当てている。
インディアナポリスが攻撃を受けてから生存者が救出されるまで、『総員退艦せよ』では約110ページに対し、この本では約170ページ、全体の半分くらいを使っているのだ。
さらに、インディアナポリスの沈没にアメリカ軍の誰も気づかなかった事情を詳しく分析しており、こちらの方が焦点を絞り込んでる分だけ掘り下げは深い。また、読み物としての面白さを追求した『総員退艦せよ』に比べて、よりデータ重視で、書き込みが細かく、いかにも現代風のドキュメンタリータッチになっている。
ただ、多くのページを費やした漂流のエピソードはいかにも悲惨で、本全体的の印象が暗くなってしまっている。日本人でもそうだから、アメリカ人にはなおさら読むのが辛いのではないだろうか。
2001年に出版されたこの本には、当然ながら後日談としてマクヴェイ艦長(この本の表記は「マクヴェイ」なのだ)の自殺も、その後の名誉回復についても書いてある。
ちなみに"In Harm's Way"というのは、「危険な所に」というような意味("put ~ in harm's way"で、「~を危機にさらす」という慣用句になる)。昔、ジョン・ウェイン主演の同じ題名の映画があって、邦題が「危険な道」。この映画を見たことはないのだが、やはり太平洋戦争もので、ジョン・ウェイン演じる巡洋艦の艦長がジグザグコースをとらなかったために日本の潜水艦の魚雷攻撃を受け、査問会にかけられるという、インディアナポリスの一件を思わせるエピソードがあるらしい。映画の艦長は、上官に理解者がいて第一線に復帰することができるのだが、なんだかマクヴェイ艦長を弁護しているような話だ。
著者がこの本に、かつての映画と同じタイトルをつけたのにも、意味があるような気がする。
ところで、アメリカではインディアナポリスを扱った映画も制作予定だそうだ。しかもワーナーとユニバーサルが競争するかのように2作品を作るとか。ワーナーの方はこの本が原作らしい。もっとも、日本で公開されるかどうかはわからないが、できたら見てみたいものだ。