木曜日だった男
木曜日だった男 一つの悪夢/チェスタトン;南條竹則訳(光文社古典新訳文庫,2008)
『木曜日の男』という訳題で創元推理文庫から邦訳が出ていた、チェスタトンの代表作にして世紀の奇作。
若き詩人ガブリエル・サイムは、友人のグレゴリーに案内されて、無政府主義者の集会に参加する。グレゴリーは正真正銘の無政府主義者で、冷笑的なサイムといつも議論を闘わせていた。そのグレゴリーが、ある時議論の勢いで、自分の思想がいかに真剣なものであるか証明するために、サイムを秘密の集会に連れていくことになったのである。
ところが実はサイムは、スコットランド・ヤードから特命を受けた秘密警察官で、グレゴリーとの議論も、無政府主義者の地下組織に潜入するための作戦なのだった。このサイムが警察に採用されるくだりのエピソードが、実にナンセンスでおもしろい。というか、サイムとグレゴリーが浮世離れした議論をかわしている最初のシーンから、現実を遊離したような雰囲気が充満している。
サブタイトルに「一つの悪夢」とあるが(これは原題でも、"a nightmare"とそのまま)、確かに冒頭から、夢の中のような不条理で非現実的なムードが覆っているのだ。具体的に非現実的なものごとが描かれているのではないにもかかわらず。この非現実感は加速度的に濃くなっていく。
サイムは舌先三寸(詩人だからレトリックには長じているらしい)で、まんまと無政府主義者の組織に潜入することに成功する。それもたった七人しかいない、幹部の一人におさまってしまうのだ。七人の幹部は、リーダーである「日曜日」を筆頭に、それぞれ曜日の名で呼ばれている。ねじれた微笑を浮かべる「月曜日」、爆弾魔にしかみえない「火曜日」、黒眼鏡の医者「土曜日」など、邪悪そうな連中ばかり。
この組織の中で「木曜日」と呼ばれることになったサイムは、無政府主義者たちの陰謀を阻止するため、奮闘を始める。が、事態は彼の予想もしなかった方向にどんどん進んでいき、この作品の冒頭部分に出てくる表現を借りれば、「狂った冒険」、「暗くめちゃくちゃな闇の綴織り」が展開される。物語そのものが、次第にシュールでコミカルでしかもブラックなドタバタ劇と化し、と同時に、詩的でもあり哲学的でもあるという、なんだかわけのわからない様相を呈していくのだ。ラストに至っては、夢だったのか現実だったのかわからない。
この小説は、一般的にはミステリに分類されることが多いし、幻想文学の側からは、一種のファンタジーと見られてもいる。しかし、読んだ印象では、「不条理アクション小説」と呼ぶのが一番ふさわしいような気がする。ストーリーは全然違うのだが、雰囲気的に、同じイギリスの風土が生み出した不条理ドラマの傑作「プリズナーNo.6」を連想してしまった。主人公が本名ではなく記号で呼ばれているところ、敵の「リーダー」の正体が謎に包まれているところ、誰が味方で誰が敵かわからなくなっていくところ、夢か現実かわからない結末など、共通する点もある。
なにより、どっちの物語も、一見日常的なようでいて、とんでもなく非現実的な世界が描かれている。今の日本で言えば、森見登美彦の世界にも通じるものがあるかもしれない。
このきわめて現代的なセンスの奇想に満ちた作品が、百年以上前(1908年)に書かれていたというのは、驚きである。













